湯本駅前の小田原電鐵自動車庫:大正14年(1925年)頃
小田原市立図書館発行「一枚の古い写真」より
看板文字が面白いこの車庫を、モデルで再現したいと考えました。
まずは、自動車のキット集めから・・・
1/87スケールでは、jordanのプラキット、Ricko、herpa、BUSCH、Wikingなどで
1910~1920年代の車種を探しました。
実車通りのワーレン、スチュードベーカー、ハドソンなどのモデルはありません。
入手できたのは、アウストロ・ダイムラー1914、アウディ・タイプC・アルペンシーガー1914、フォードモデルA、モデルTなどです。
車庫の看板文字は古写真より忠実に再現しました。
看板を照らす電灯はビーズで表現しています。
手前の車は、フォードTT型「円太郎バス」
jordanのプラキット「1923MODEL T FORD STAKE TRUCK」をベースにプラ板でスクラッチ。実車はトラックに幌をつけたようなつくりです。
プロトタイプは旧交通博物館所蔵のものです。
wikipedia~円太郎バス~より
旧交通博物館所蔵の円太郎バス
ブッシュ製「ひまわり」のキット、並べるとアクセントになります。
絵葉書「(復興の東京)バラックの神田須田町通りと市ノ圓太郎自動車」
関東大震災後、フォードトラックを改造した乗合自動車(円太郎自動車)が東京の街を走っていました。
小田原駅前の「小田原電鉄貸切自動車」の車庫が写っている貴重な古写真です。
手前には「富士屋自動車」の乗合バスが見えます。印半纏(しるしばんてん)の人物は客でしょうか。それとも客引き?
「小田電」と「富士屋」の二社による競争が激しかった頃です。
と思って拡大してみたら、湯本・萬翠楼(ばんすいろう)の案内人でした。
絵葉書「一泊探勝日帰行楽の仙境 箱根底倉八千代橋畔 蔦屋旅館」
昭和6年4月21日の消印あり
小田原電鉄自動車部が採用していたマセデス・ダムラーによるバスツアーの様子。
ところで、「マセデス・ダムラー」って「メルセデス/ダイムラー」のことでしょうね。
絵葉書「一泊探勝日帰行楽の仙境 箱根底倉八千代橋畔 蔦屋旅館」
絵葉書 (箱根登山電車)小涌谷停車場
左:「神403(小田原電気鉄道)」、右:「神156」
キキ7型は、
明治31年(1898年)天野工場製
ペックハム8B 電動車
単独運行
大正6年(1917年)ごろ、ベスティビュール改造
昭和12年(1937年)九州鉄道三井線(西日本鉄道)に譲渡、26号となる
昭和17年(1942年)連接車に改造
さかつうのA4ジオラマ写真コンテストに応募しました。
タイトルは「円太郎バス meets 小田原電氣鐵道」1/87
(※実際の自動車庫と小田原電気鉄道の線路との位置関係は異なります)
ジオラマストーリー:
東京から円太郎バスが箱根湯本までやってきて、とうとうオーバーヒートしてしまいました。運転手がボンネットを開けてエンジンの様子を見ています。小田原電鐵・貸自働車の運転手たちが心配そうに見ています。後方から、小田原電氣鐵道のキキ7型がわきをすり抜けて行きました。
キキ7型は図面(箱根登山鉄道70年史)からのフルスクラッチです。
主にペーパー製。動力部はトラムウエイの輸入キットで、この当時の小田原電気鉄道と同じ、ペックハム8B台車がついていたのでそのまま使用できました。
キキ1~16・・・ペックハム8B台車 動力車
キフ17~27・・・天野式台車 付随車 です。
全焦点マクロ撮影です。
保護網は、洋白線で枠をつくり、リード線をほぐした銅細線を網目状に編み、はんだを流して製作しました。
ガソリンタンク車はメルクリンの金属製トラックにタンクを積んだだけ。SHELL REDのステッカーを貼りました。
日が暮れちゃうよ。
RM MODELS 184号(2010年12月号)に掲載されました。
西村慶明氏から特別にコメントをいただきました。
箱根町立郷土資料館リーフレットより
2013年11月13日来館
企画展を見学。
富士屋自働車の運転手の制服や、小田原電気鉄道の運転手の帽子などが展示してありました。資料によると、富士屋自働車の制服は「青襟、青袖のカーキ服」。小田電は「赤襟」だそうです。モデルを塗り直さなくては…。