平塚近辺絵葉書コレクション

コロタイプ印刷版

大正七年四月一日発行「広重画五拾三次現状写真対照 東海道」より「平塚」

まだ高麗山(こうらいさん)に松の木が見えます。

この松は昭和30年代に全滅しました。

平塚宿ハヅレヨリ富士山ヲ望ム

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相模大山 大山街道ヨリ見タル頂上」社務所発行

左手に「太田道灌の墓入口」とあり、正面に大山が見えることから、

現在の伊勢原市立山王中学校のあたりでしょうか。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州大山遠望」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「伊勢原街道より大山を望む」

上の絵葉書とほぼ同所と思われるますが、松の木や大木が減っており、電柱が立ち並んでいるのでやや時代は後でしょう。人力車も自動車に変わっています。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州大山」

昭和10~20年代の乗合バスです。雨岳文庫で聞いた話によると、マツの大木は雷が落ちて燃えてしまったとのこと。

着色絵葉書 Mt.Oyama near Oiso.

相州大山 子易ヨリ頂上ヲ望ム

子易明神前の人力車 大正4年頃

 

絵葉書 宮ヶ瀬 土山峠 (萬便社乗合自動車沿道)

 

wikipedia「神奈川中央交通」より、

本厚木~宮ヶ瀬湖方面の路線は、「大正末期から昭和初期にかけて、萬便自動車商会により運行された路線が前身である」とある。

 

絵葉書 萬便社自動車と厚木相模橋遠望

上の部分拡大

萬便社車庫


「神奈川中央交通50年史」より

 

乗車券60

中央相武自動車株式會社

昭和3年(1928年)ごろ

 

乗車券40

中央相武自動車株式會社

昭和3年(1928年)ごろ

中央相武自動車浅間町車庫


「神奈川中央交通50年史」より

乗車券 厚木~伊勢原

相模中央自動車株式会社

乗車券 秦野~松田

相模中央自動車株式会社

 

相模自動車


「神奈川中央交通50年史」より

自働車時刻表
伊勢原自働車運輸株式会社

詳細不明


乘合自動車 停留場

西野驛

藤澤自動車株式會社

秦野町から平塚経由 東京電環ゆき

神奈川中央交通

上の切符の裏面

秦野旅行協会
昭和十一年(1936年)四月一日

バス列車時刻表

神奈川中央交通平塚営業所

映画「鰯雲」より

「鰯雲」は、1958年(昭和33年)の厚木近郊が舞台の映画です。

当時の厚木駅周辺です。

日産オースチンA50ケンブリッジ/1958型が登場します。

厚木町から愛甲郡(愛川町)半原に向かう神奈川中央交通のボンネットバスも登場します。

貴重な映像です。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚 馬入川の遊船」

zakix家アルバムから

相模川の鮎釣り(厚木町付近)

大正12年(1923年)6月3日

相模川 鮎漁御案内 石多家

相模川鮎漁 御遊船御案内所

割烹旅館 水明楼 千鳥園

 

鶏卵写真

 

馬入之河口

明治四拾壱年弐月拾日写

 

画面中央の特徴的な2本の木があることから、以下の2枚の絵葉書もほぼ同所を撮影していると思われる。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚 馬入川の景」

絵葉書「(平塚名所の内)馬入川の鮎漁」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州 平塚海岸ノ砂取」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(茅ヶ崎名所) 馬入川口ヨリ須賀港大磯方面ヲ望ム」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚 海岸の景」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚海岸ヨリ江ノ島ヲ望ム」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚海岸ブリの大漁」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚 馬入橋より富士を望む」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚名所 馬入橋ノ鉄橋」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「関東大震災 真二つに折れた馬入川鉄橋」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「関東大震災 東海道二宮附近で倒れた汽車」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(平塚名勝)馬入橋」

富士山は加筆であろう。傾斜がおかしい。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚市 馬入橋ヨリ富士ヲ望ム」
平塚高等女学校(現:平塚江南高等学校)創立十五周年記念スタンプあり。

創立は1920年(大正9年)12月なので、このスタンプは1936年(昭和11年)11月1日。

馬入橋

「日本地理風俗大系」新光社(昭和5年発行)より

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚在須賀明神附近ノ景」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州 平塚町停車場ヨリ富士ヲ望ム」

左手奥が不動通り。大正10年以降は、会社営業となった乗合自動車の停車場となりました。富士山はこの方向には見えないので、加筆によるものでしょう。

平塚停車場スタンプ

昭和8年5月1日

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州 平塚ノ見付」

明治末年。

馬入と平塚新宿境の松並木を通して、東海道の馬入方面(東方向)を望む。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州 平塚郊外ノ富士」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚裏玉川橋より富士を望む」

明治末年。

玉川橋は渋田川に架かる橋。手前の鳥居は南原の諏訪神社。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚在金目櫻堤」とタトウ「平塚名所絵葉書」

昭和初期。

南原、長持、片岡、南金目にわたる金目川の左右の堤と秦野県道沿いに吉野桜の苗木数百本が植えられ、大正期に入ると、桜の名所として京浜方面からも多くの花見客が訪れました。



大正十年四月十日 金目~千畳敷 桜の花見

大正十年四月十日 於 金目

鶏卵写真

大正十年四月十日 於 金目川

鶏卵写真

大正十年四月十日 於 千畳敷ヨリノ途上 背景ハ金目堰堤

鶏卵写真

大正十年四月拾日 於 大磯千畳敷山上

鶏卵写真



絵葉書「平塚駅構内ヨリ富士ヲ望ム」

大正9年(1920年)5月11日の消印あり。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「大磯風景 花水川鉄橋」

絵葉書 相州平塚海岸の風景 1/3線 明治43年5月□日の消印あり

□の松は有名なる扇の松という

 

通信欄)お多忙中の御通信深謝す 小生健全毎日波浪を支として白砂青松の内に都会の塵を避け海浜の自然と□□致し卒円□迄滞在のつもり 目下網引盛んにて鮮魚はおいしいよ 閑のとき遊びに来給え 河野□□□君によろしく□□音信を□う おもしろいことあらばしらしてよ 表絵葉は海岸への通路 ○印のところが小生の在地 海岸に最も近く 向って右は大磯になる 左様ならまたよ

 

絵葉書 平塚名所扇松

平塚絵葉書
平塚絵葉書

 

 

現在の扇松付近

2013年11月2日撮影

平塚絵葉書
平塚絵葉書

 

 

 

 

 

絵葉書「相州 平塚南原附近ノ景」

後ろに見える工場は、写真家小川一真が設立に携わった「日本乾板株式会社」

別角度から日本乾板株式会社の工場を撮影した写真(絵葉書)に、同じ煙突が写っている。

煙突の文字はタテ書きで、「二ホンカンパン」と読み取れる。

絵葉書「(大磯風景)高麗山ヨリ冨士ヲ望ム」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

現在の「元 平塚小学校理科教室」

2013年11月2日撮影。

2階部分は増築されているのがわかる。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

隣接する和洋折衷の建物は「元 平塚市議事堂」
1950年(昭和25年)建造。

現在は崇善公民館として利用されている。

こちらも2018年までに取り壊し予定。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「神奈川県立農業学校より富士山を望む」
現在の平塚農業高等学校。

左手の松の丘は平塚城跡(八雲神社)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「神奈川県立農業学校全景」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「神奈川県立農業学校第一回秋季運動会 源平野試合」
現在の平塚農業高等学校

絵葉書 「神奈川県立農業学校より高麗山を望む」(相州平塚今井書店発行)

絵葉書 「神奈川県立農業学校の景(其二)」(相州平塚今井書店発行)

左:創立二十五周年 記念大運動会 昭和八年(1933年)

右:1924(大正13年) 神農 (庭球部?)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

八枚組(以下①~⑧)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

①絵葉書「平塚城跡(諏訪の森)」(平塚絵葉書クラブ)
平塚城跡は、現在の八雲神社

欄外は「平塚小唄」の歌詞。

「平塚小唄(ホックリ節)」は、昭和3年、昭和天皇の即位式を記念し、当時の平塚町料理屋組合が、平塚を紹介する民謡を詩人の北原白秋に作詞を依頼してできたものである。当時の平塚名物サツマイモを掘り起こす様子や、ホックリした味から、ホックリ節となった。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

八雲神社南側斜面を写したリバーサルフィルムより。
1961年(昭和36年)に現平塚商業高校北側グラウンドあたりから撮影。

平塚商業高校(全日制)は翌年の昭和37年開校。

 

平塚絵葉書
平塚絵葉書

②絵葉書「花水川口ヨリ高麗寺山ヲ望ム」(平塚絵葉書クラブ)

北原白秋作「ほっくり節」の一節。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

③絵葉書「平塚町 八幡神社」(平塚絵葉書クラブ)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

④絵葉書「平塚海岸地引網」(平塚絵葉書クラブ)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

⑤絵葉書「平塚町由来の碑」(平塚絵葉書クラブ)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

現在の「平塚の碑」と「古墳」

2013年11月9日撮影。

上の絵葉書とほぼ同所より写す。

 

平塚絵葉書
平塚絵葉書

碑は古墳の前から移設されている。

銘文に「桓武天皇孫高見王之女政子(原文ママ)下東國天安元年(857年)二月二十五日薨因葬墳此塚也」とある。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

⑥絵葉書「鏡山お初の墓」(平塚絵葉書クラブ)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

 

 

現在の「鏡山お初(おたつ)の墓」

2013年11月9日撮影。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

⑦絵葉書「平塚海水浴場」(平塚絵葉書クラブ)

平塚絵葉書
平塚絵葉書

⑧絵葉書「平塚海水浴場」(平塚絵葉書クラブ)

昭和初期。

平塚海岸の海水浴場は大正8年に開設され、夏は海水浴客で大変にぎわった。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州 平塚海岸の景」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚海岸浴」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚海岸ヨリ漁船ヲ眺ム」

4年8月19日の消印あり

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州 平塚海岸通り」

現在の扇松通り

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚町全景 大正十年特別大演習記念神奈川県中郡役所」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚町大久保公園」

大正末期。

大正時代に市内初の公園として誕生した。旧小田原藩主大久保家の所有地で、2400坪の公園と諏訪部神社を祀ったものである。開園当初は庭園池があった。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「平塚大久保公園」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

現在の大久保公園
2013年11月9日撮影。

だいぶ趣きが変わっている。

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(湘南平塚名勝)大久保公園」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

「池」の有った場所は、現在では「幼児用プール」になっている。

2013年11月9日撮影。

平塚市制 記念絵葉書 平塚市大久保家 土地経営部 (三枚入り)

昭和7年ごろ




上の絵葉書の部分拡大

「秦野 自動車 停留所 のりば」の文字が見られる

上の絵葉書は、南原付近のバス停と思われる。

昭和5年6月発行の「新興大平塚全図」によると、南原を通るのは、

中郡一周自動車 または 秦野自動車株式会社のバスである。

単位は銭。平塚~秦野は35銭だった。

ホームページを見てくださった方からご教示いただきました。

上の絵葉書は、平塚高等女学校(現在の平塚江南高校で、創立当時は校舎は道路に面して建てられていた)の2階より平塚金属工業(旧平塚傷兵工場)の方向を移したものではないか、絵葉書に写るバス停は「南原付近」ではなく、現在の「江南高校前」のバス停ではないかとのこと。

情報ありがとうございました!

乗車券 八幡・平塚

相模自動車株式会社

郷土出版社「ふるさと平塚」より

平塚市博物館発行「レンズが見たひらつか」より

平塚・平田自動車の灰皿

後年になって作られたもののようであるが、詳細不明

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「相州平塚 八幡宮」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(湘南平塚名勝)八幡宮」

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(平塚名勝)八幡神社」 1/2線
昭和9年(1934年)8月8日の消印あり

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(平塚名勝) 平塚公園(八幡宮)」

狛犬が土台に乗っていない初期のものか。

現在の平塚八幡神社石鳥居 2016年12月24日撮影

移築されている

「市制施行記念絵はかき」より

平塚名所 八幡大門通り 昭和7(1932)年

左側の商店より

・内外果實食料品 電話百二十五番

・銘茶氷問屋 笹屋商店 電話百○四番

・□亀堂□店 森永ベルトライン

・○に久 食堂 久保田総本店

・いづみ呉服店

・平田人形店 雛の文字

現在の八幡大門通り 2016年12月24日撮影

平塚絵葉書
平塚絵葉書

絵葉書「(平塚名勝)海軍火薬廠正門」

相州須賀港 米善醤油醸造場(壓搾所ノ一部)

大正11(1922)年1月3日の消印あり


江戸時代から味噌醤油製造の「米善」で親しまれてきたが、昭和4年12月の須賀の大火で、家屋・工場・蔵まで焼失した。そのは平塚市大官町に移転した。

平塚市勢要覧 昭和十一年度版より 「平塚市廳舎」

平塚市勢要覧 昭和二十五年版より 「市庁舎」

絵葉書 「(平塚名勝) 神奈川県立平塚高等女学校 (平塚町絵葉書倶楽部発行)」

 

着色絵葉書 (相州平)停車場

着色絵葉書 (相州平塚)八幡大門通

着色絵葉書 (相州平塚) 花水川ヨリ富士ヲ望ム

着色絵葉書 (相州平塚)海岸の漁舟

着色絵葉書 (相州平塚)八幡神社

平塚絵葉書
平塚絵葉書

神奈川県平塚市

第二海軍火薬廠工員寄宿舎 

総合事務所 ○○光治

平塚絵葉書
平塚絵葉書

昭和10年(1935年)1月1日の年賀状

住所の「東濱嶽(浜岳)」は現存しません。

 

 

参考資料
平塚市博物館 平成13年発行

 


参考資料

神奈川新聞社 2010年発行


参考資料