秦野市本町公民館の展示
2014年1月11日撮影。
秦野駅の詳しい解説&立面復元図も提示されていました。
創作意欲を起こす記事内容です。
しかし、秦野駅舎は現存していないので、各部の寸法がわかりません。
仕方がないので古写真(絵葉書)から推定します。
画像の左端に立っている人物を、大正時代の男性の平均身長160cmとすると、
正面4枚の窓枠のタテ方向が180cmほど。これを「1間=1.818m」としてみましょう。
窓枠のタテの長さ分のレンガを数えると22枚積み重なっています。窓枠の最上部には
タテ置きにしたレンガが見られ、この枚数を数えて長さを割り出すと…(中略)…
最終的に駅舎の中央の部屋は横方向が5.5間(5.5×1.818m=9.999m)となります。
ほぼ10mですね。1/87スケールだと115mmということになります。
さらにレンガを数えて、…(中略)…大部屋正面の1階部分の長方形の寸法を割り出し、作図します。
次に、正面から撮影された古写真の三角屋根の角度を分度器で測ると、ほぼ90度でしたので、直角二等辺三角形を作ってさきほどのレンガ部にかぶせます。これで「大部屋」の正面図が完成します。
ここまでのところをJw_cadで描くとこんな感じ。
次は左の部屋ですが、ちょうどよい資料がありました。
「陸蒸気30年」より。
左奥に駅舎の裏側の一部が見えます。三角屋根どうしが垂直にくっついているようですね。タテ方向の瓦の枚数を数えると、大屋根は22枚、となりの部屋は少し低くて17枚です。22枚分の瓦の1/87スケールは約85mmで、85×17÷22=66mm、三平方の定理で66の2乗+66の2乗の平方根を求めれば約93mm(=実長は4.5間分)です。
左の写真でも、大屋根の方が横に1間分ほど長いのでつじつまが合います。
あとは建築中のスケルトン写真も参考にしたりして…
ようやくモックアップが完成。
もう少し奥行きが長めかな。
まだまだ細部の検証が必要な段階です。
資料写真いろいろ。
試行錯誤を繰り返す。
ジオラマの構想。
1/1800の明細地図を400%コピー、さらに300%コピーすれば1/150スケールになります。工作用紙で1/150のストラクチャーを製作し、全体像を見ます。駅構内全体だと1m弱で収まりそう。しかし1/87だと、この1.7倍の大きさになるので、構内全体のジオラマは大きすぎて断念。さてどこを切り取りましょうか。
駅舎のとなりの「直営自動車」も作って自動車を並べてみたいですね。
左の資料より、「秦野支社」は赤瓦葺き(あかがわらぶき)二階建て、67.5坪とわかります。ちなみに「秦野自動車車庫(=上の写真の直営自動車部分)」は亜鉛葺き(トタン板葺き)12坪と書かれています。車4台分の幅なので、間口4間×奥行き3間かと思われます。
とりあえずこんな感じで切り取ってみました。
貨物上屋(かもつうわや)がギリギリ。
エムズコレクションの1/80貨物上屋を置いてみる。斜めに一部カットすれば収まりそう。ポイントは5個。もう少しレイアウトの角度を検討していきます。
秦野駅舎北側面図の完成。
中央大部屋は5.5間×5.5間(9.999m×9.999m)=30.25坪
図の左(東)の部屋は1.5間×4.5間(2.727m×8.181m)=6.75坪
図の右(西)の部屋は2.5間×4.5間(4.545m×8.181m)=11.25坪
ここまで合計48.25坪です。
上の資料には「2階建てで67.5坪」と書かれているので
67.5-48.25=19.25(これが2階のスペースでしょうか)
大部屋の灯り採りの窓の位置から、大部屋の2階部分は、3間×5.5間(=16.5坪)と
想像しました。
また、左の部屋の後ろに待合室のような屋根つきの建物があります。
(これが19.25ー16.5=2.75坪でだいたい合います)
問題は窓枠の製作です。
このようなデザインのものは市販品にありませんでした。
エッチング外注だと見栄えは良いですがコストがかかるし、
ケント紙に印刷した窓枠をカッターでくり抜きましたが、非常に疲れる作業で、
これを14枚もつくるのは大変です。
ということで、カッティングマシン「シルエットカメオ」を発注することにしました。
これが「シルエットカメオ」。発注して中1日で来ました。お値段、代引きで27095円なり。
とにかく操作は簡単です。
簡単な描画で、「縁取りカット」を選択すれば…
あまった年賀状が窓枠に早変わり。
左が先日苦労して作った窓枠、右がカメオで試験的に作った窓枠。平行線がきれいです。圧倒的スピードで、大量生産可能です。
クオリティは十分ですね。
こんな感じで、錐のようなカッターが切り刻んでいきます。
年賀ハガキ1枚で7×4=28枚分の窓枠がとれます。
0.5mm幅の桟も楽々作れました。2枚重ねにすれば強度は十分です。
過去の建物の位置関係を調べるには、国土地理院のHPで「空中写真サービス」を利用すると良いでしょう。データを注文してから約1週間ほどで届きました。
注文したのは、米軍機による昭和21年(1946)9月12日撮影の画像です。
オレンジの矢印が「秦野駅舎」、赤の矢印は「湘南軌道直営自動車」のあったところ、青の矢印は2棟の「貨物上屋」です。
画像右下が二宮方向、左上は専売局(現:イオン)方向です。
残された古写真から判断して、秦野駅構内は黄色で示したような配線だったと推察できます。
かなり精密に撮影されているので、部分拡大しても建物の形等がハッキリとわかります。秦野駅舎(画像中央左寄り)は道路に面しておらず、すこし引っ込んだところに建っています。また、中央大部屋は上から見て正方形では無いようです。
間口(5.5間)に対して奥行きは少し長めです。そこで、奥行きを6間として計算すると、ちょうど前述の「2.75坪」分が無くなる計算になり、だいたい合います。
したがって、以下のように訂正します。
中央大部屋は5.5間×6間(9.999m×10.908m)=33坪
図の左(東)の部屋は1.5間×4.5間(2.727m×8.181m)=6.75坪
図の右(西)の部屋は2.5間×4.5間(4.545m×8.181m)=11.25坪
篠原のナロー線路&ターンアウトを紙にコピーしたものを置いて、様子を見ます。
貨物上屋2棟分は入らないので1棟に省略します。
2014年1月30日。
秦野駅舎の製作をすすめました。
今日のところはここまで。
2014年1月31日。
2014年2月2日。
大正期の木造洋館を画像検索していたところ、この建物にそっくりな建物を発見しました。大正11年(1922)9月~11月に、大阪府豊能郡箕面村で開催された大正住宅改造博覧会に出品されたモデル住宅(大正10年)で、製作は「あめりか屋」。今も建物は現役です。
赤い傾斜のある大屋根が特徴の建物は「あめりか屋式」というのだそうです。
ほんとにソックリです。
http://gipsypapa.exblog.jp/10811593/
湘南軌道秦野駅舎(大正11~13年)も「あめりか屋」に発注したのでしょうか?
あめりか屋式の建物で有名なのは、「旧川上貞奴邸」(大正9年)などがあります。貞奴邸にならって、壁面を赤系から濃灰色(ジャーマングレイ)に塗り直し。
また、「天理大学・若江の家」(大正13年竣工)も「あめりか屋式」。
窓の桟、玄関などの構造が良く似ています。
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-date-201007.html
これも似ている・・・
http://www.city.kitaakita.akita.jp/news/2008/10/1020/Kon-Shitei/D0006-m.jpg
でこぼこしたモルタルの壁は大正期に流行した「ドイツ壁」というのだそうです。
モルタルを壁に投げつけてつくったとか、ササラで掃いたとか、言われています。
2014年2月5日。
2014年2月9日。
だいぶ完成に近づいてきました。
あとは、4か所の入口の小屋根。屋根のへりについている飾り板。屋根上の鴟尾(しび)みたいなヤツを作って完成です。仕上げに適度なウエザリングを施したら、いよいよジオラマに組み込みます。
シノハラのターンアウト
R150mm
2014年2月23日。
線路を「速乾アクリア」で固定しているところ。
2014年2月11日。
「軽便鉄道と東海道メモリアル」展 @二宮町ラディアン も最終日。
ここは人の出入りが非常に多く、途切れることがありませんでした。
十文字さん製作の湘南軽便モジュールレイアウト。
大スケール(1/46)は迫力がありますね。
水無川橋梁は公文書を調べてスケール通りに作られたそうです。
いつか作ってみたいシーンですね。
こちらは桜土手古墳展示館前の水無川のようす。
水無川系の玉石は丹沢山地の凝灰岩、安山岩、玄武岩などで、全体としての色調は緑系です。
絵葉書 秦野葉煙草収納所
湘南馬鉄秦野二宮間 開通記念 スタンプあり
明治39年8月5日
絵葉書 専売局秦野煙草試検所
絵葉書 専売局秦野製造所 第五回職工慰安奨励会(其の三)
(鉄道馬車乗用者ト徒歩者)(二宮駅会用特発汽車)
明治43年11月
絵葉書 専売局秦野製造所 第五回職工慰安奨励会(其の五)
(新案余興晩秋ノ潮干狩)
明治43年11月
湘南軌道 秦野駅 スタンプ