宮ノ下・富士屋ホテル前にある「カフェ・ド・モトナミ」は、「昭和初期に富士屋自働車のバスの待合所だった建物」を改築したものだそうです。
昔は富士屋ホテルのバス待合所だった?
本に掲載されている平面図を元に、1/87スケールで方眼シートでモックアップを製作しました。
側面はすべて古写真から推定。
屋根をつけたところ。
屋根の形状はgoogle mapの画像から判断しました。
Ford TTを配置してみます。
イメージはだいたいこんな感じ。
しかし建物の裏側がわからないので現地を訪れてみることにします。
それからもう少し鮮明に写っている当時の写真がほしいので、小田原市立図書館へ行くことにしました。
2014年9月20日。
小田原市立図書館。
レトロな建物です。
図書館のとなりに小田原市郷土文化館があったのでのぞいてみることにしました。
これは大正時代の汽車土瓶で小田原駅構内で発掘されたものです。
明治三十一年八月一日改正
小田原馬車鉄道時刻表
大日本職業別明細図 昭和10年1月25日発行 東京交通社より
小田原町勢一覧附案内図 大正二年十二月二十五日 町勢調査会 より
小田原電気鉄道から熱海軽便鉄道に乗り換える場所です。
上の地図の場所を絵葉書で見ています。
人々が歩いて向かっている方向(画面左方向)に軽便の停車場がありました。
「小田原の原風景 1交通編』伊勢治書店 より
そして図書館では「富士屋ホテル八十年史」を借り、閲覧しました。
初期に発行したパンフレットや時刻表が紹介されています。
撮影された時代はわかりませんが、かなり昔の空撮写真です。丸印の中の建物が今回訪れる「カフェ・ド・モトナミ」です。
現在の宮ノ下、富士屋ホテル周辺。グーグルマップより。
宮ノ下駅に到着。
金太郎塗装のモハ2型108と、右はモハ1型104
駅をおりて国道を歩くと、やがて「カフェ・ド・モトナミ」が見えてくる。左は嶋写真館。
嶋写真館のショーウインドウには貴重な写真が多数飾られています。
すごい複雑な形。
格好の良い建物ですね。
二階のレストラン部分。
チキンカレー&コーヒーを注文しました。チキン、ニンジンがとろとろでなかなかの味です。あずきを売りにしているカフェなので、ライスもあずき色、と凝っています。
マスター(元波氏)に復元モデルの資料を探しに来た・・と事情を話し、店に飾られている写真を撮影させてもらいました。
拡大するといろいろわかります。
まず、車体ナンバーは「神2026」
形状やナンバーからして
昭和2年型ベンダーか、昭和3年型ホワイト あたりと思われます。
「FUJIYA GARAGE MOTOR BUS WAITING ROOM」
「社會式株車働自屋士富」
「所合待」
「今度の乗合自働車は・・・」などなど。
二階の窓と窓の間には「階上喫茶店」の文字が。
そして、資料としてマスターが見せてくれた貴重な写真。
昭和28年に国道拡張のため、セットバック工事を行っていた!!
さて、模型化できるか。
建物の裏側にまわってみてビックリ。表向きは2階建てですが、裏側は三階になっていました。
道路面より上にある部分をセットバック工事をして後方にずらしたようですね。
それにしてもすごい複雑です。2~3階部分を青色のつっかえ棒で支えています!
2014年9月23日。
とりあえず、窓をカッティングマシンで大量生産。
前面展開イメージ図
Excellで作りました。
シルエットカメオはケント紙に切れ込みを付けていくだけなので、このようにカッターで一つ一つくり抜いていきます。
2014年9月27日。
壁や窓枠の色は想像です。
待合所の写真が撮られたのは、いつなのか気になるところですが、
上の資料「バス、天下の険を行く」(箱根町郷土資料館 発行)掲載のホワイト号「デ・ラックス」の写真が近いと思われます。
宮之下待合所前の車体ナンバーは「神2026」、このパンフレット中央の写真に写る車体のナンバーは「神2060」で近いナンバーです。「昭和2年頃から導入」とあるので、少なくとも昭和2年以降ということになります。
待合所の写真には、玄関前に案内表示があり、タテの柱に「今度の乘合自働車は」とあります。赤い円の中の文字は「行○○原田小 TO ODAWARA」のように読め、その下は「3 40」なので、今度の小田原(停留所?)行きの乗合バスは午後3時40分発ということなのでしょうか。いずれにしても、行き先と発車時刻を架け替えて表示する案内板のようですね。
ちょうど、手持ちの資料の中に、「①昭和3年4月10日改正の時刻表」、「②昭和4年4月1日改正の時刻表」、そして「③昭和4年9月15日改正の時刻表」の3冊があったので、調べてみました。
①の昭和3年4月10日版時刻表によると、たしかに宮ノ下3:40発の乗合自働車があったことがわかります。
②の昭和4年4月1日版も同様に存在しています。
しかし、③の昭和4年9月15日版には3:40発の乗合自働車は、見られなくなっています。
したがって、宮之下待合所の写真は、(このタイプの車体が導入された)昭和2年以降~昭和4年9月14日より以前(時刻表改正前)に撮影され、小田原ゆきのバスの時刻表から、午後3時15分~3時40分の間に撮影されたことがわかります。
また、窓を全開にしているところから、おそらくあたたかい季節だったのでしょう。
もう少し鮮明に写っている写真(原本)を見てみないとこれ以上は判りません。
本日訪れたのは、富士屋ホテル内にある史料展示室。
富士屋自動車、冨士箱根自動車関係の資料もありました。しかし、他にめぼしいものはなし。
カフェ・ド・モトナミで休憩。
「欲張りんぼう+ホットコーヒー」を注文。美味しい自家製あずきと6色白玉と抹茶アイスが妙味で、コーヒーともよく合います。
元波氏とジオラマの進捗状況や史料についての話をしました。「宮之下待合所」の写真の原本は嶋写真館にあるとのこと。
となりの建物も気になる・・・。やはり国道拡張工事のため、このような形に切り詰められたらしい。
この日はメジャーを持って行って、約1時間かけて各部を測定しました。しかし、測れば測るほど複雑なつくりであることがわかります。ジオラマは昭和初期の姿を推定してベースづくりに入ります。
2014年9月30日。
前面がなんとか完成。1/87平面図と合わせてみる。
窓ガラスはまだ入れていません。
2014年10月4日。
とりあえず、ベースはいつもの「との粉」撒きで作成。
2014年10月6日。
窓ガラスが入った状態。
待合所の前が広場みたいで不自然なので、ベースをカットする予定。
別角度から見てみる。
裏側が大変そう。
あと屋根も・・・。
屋根は、実物の測定が不可能なので、モデルの現物合わせで作成します。
まず、ベースの五角形を9mmずつせり出すようにカット。
三角形の組み合わせで、何とかここまで形にすることができました。
カーブをつけるのが難しい。
2014年10月9日。
シナ材で屋根を作成。
2014年10月10日。
2014年10月11日。
GSIクレオスのサーフェーサーで処理して、
タミヤのエアーモデルスプレー AS-25 ダークゴーストグレイを吹きました。
2014年10月14日。
桐材の木枠をホームセンターで見つけて衝動買い。
枠に収まるように全体をカットしました。
2014年10月19日。
階段作成中の様子です。
スタイロフォームにカッターで成形後、数種類の缶スプレーをランダムに吹いて仕上げました。
2014年10月26日。
アクリル板でケースを作ります。
アクリル板は、図のようにPカッターでケガき後、パキッときれいに折ることができます。この後耐水ペーパーで切断面の直角出しをします。
アクリル板を汚さないように二酸化メチレン液で接着していくわけですが、どうも苦手な作業です。
何とか「箱」にすることができました。
1931 fordAA → 1928 white
側面を取り換えるだけのお手軽改造で。
塗装は・・・
ボディーはニューム色で、プルシアン・ブルーのラインということです。
ニューム→アルミニュームの色
プルシアン・ブルーって、「プロシア(旧ドイツ)の青色」という意味です。
幕末にはベロ藍(ベルリンの藍色)といっていました。葛飾北斎の冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏の波の色にも使われたとか。
ベースにするのはBUSCH製FordAA
パーツをばらしてみました。
側面をケント紙、屋根を板材で製作。
FUJIYA GARAGEのFGマーク、なかなか良いデザインですね。写真からトレースして、テプラの透明シートに縮小コピーして車体に貼りつけました。
2014年11月5日
車体のFGマーク、電柱、窓からのぞく人を追加。
Preiser 品番17201 机・椅子セット
店の写真をスキャナーで読み込ませてもらったが、案内板の時刻は読み取れず・・・
こんな感じに仕上がりました。
トヨタ博物館のブログより 五十嵐平達コレクションの写真から
いつ頃撮影されたものか、左端のポスターの車種から昭和2~3年以降、黒板に「富士屋自動車~~」と書かれているから昭和7年以前。あとは時刻表の時間が分かれば絞り込めそう。
書店で購入したDVDを見ていたら、戦前の貸切自動車の動画が・・・
何か箱根っぽいですね。
ほんの数分の動画ですが・・・
箱根かも。ハドソン車のようです。この車にはハッキリと車体ナンバーが。
「K190」
国会デジタルライブラリーで「全国自動車所有者総覧 大正12年」で調べると、
神奈川の車体ナンバー190(K190)は富士屋自動車所有の車でビンゴ。
貴重な動画が残されていたんですねぇ。
明治の写真師・玉村康三郎撮影の宮ノ下風景 1897年(明治30年)
左の洋館は明治24年竣工の富士屋ホテル。右の洋館は明治20年完成の奈良屋ホテル。
(長崎大学・データベースより)
玉村康三郎は、明治30~31年(1897~1898年)にボストンのJ.B.Milletの依頼で日本の風景彩色写真を生産している。
そして、この頃すでに「宮ノ下待合所」の前身?となる建物が存在していた!!
(赤矢印の建物)
上の絵葉書と同じ写真である。
右の建物はカフェ・ド・モトナミの前身?
箱根町郷土資料館「バス、天下の険をいく」より
小判型3銭封緘葉書
昭和8年3月8日の消印
(表面の下段にあった「逓信省発行 印刷局製造」の銘は、大正14年5月1日より無くなっている)
冨士箱根自動車のバス待合所が登場する珍しい封書
郁子の入学校は家政学院のみでなく何れの学校にても実状を調査し最優良なる学校へ入学しては如何 家政○○なれぞ一年か二年にてよろしからんと存、都合にて三年にてもよし
実践女学校の幹事か教頭か有村新六と云う人、先年夏偶然函根(箱根)宮ノ下にて宿を求めんとして底倉か仙石原かと物色中、バス待合所にて知り合いとなり、同氏別荘のある仙石原の仙郷楼へ案内紹介を貰い○縁故あり其の時名刺を貰いあり
東京市外渋谷町豊方二、有村新六