今年は湘南軽便鉄道(動力化して)から100周年にあたります。
各地で「湘南軌道」関連の催しが企画されています。
「湘南軌道」関連の催しは無事終了致しました。
次は2018年(湘南軌道100周年)に、秦野市が企画するそうです。
2016年(湘南馬車鉄道110周年)とか2017年(湘南軌道廃止80周年)はやらないみたいですねぇ。
湘南軌道について 二宮~秦野間 約10km
・湘南馬車鉄道 1906年(明治39年)~
・湘南軽便鉄道 1913年(大正2年)~
・湘南軌道 1918年(大正7年)~1937年(昭和12年)全線廃止
大正13年(1924)頃の古写真「湘南軌道株式会社・二宮本社屋」
湘南軌道株式会社が大正13年4月に発行した絵葉書より。
本社屋を北西側から写したもの。
大正8年(1919)建造。関東大震災(大正12)による倒壊を免れ、現在は築96年目にもなりますが、JR二宮駅北口付近に奇跡的に現存しています。
現在の本社屋北側面 2011年11月4日撮影。
1階部分は複雑に増改築が繰り返され、現在は5店舗が入っています。写真の左からピンクの店舗は美容室(廃業)、続いて薬局2店舗、西側面にまわって薬局の南隣は花屋、そしてレストランの順です。もはや創建当時の面影もありませんが、2階部分は窓枠などがきれいに残っていました。
(※残念ながら、北側面窓は、2013年夏にすべてブリキ波板で覆われてしまいました)
本社屋内部調査。
2011年11月4日撮影。
この建物の所有者の方のご好意で、内部を見学させていただく機会を得ました。
本社屋2階中央部分には、南北に貫く長い廊下があり、廊下の幅は約1mほどです。
この写真は南側から北側方向を写しています。
建物内部の扉には、創建当時の塗色や古いドアノブなどが残っていました。
本社屋内部調査。2011年11月4日撮影。
二階の角(北西側)の部屋のようす。
入口には、「第十號」の木製看板がかけられています。
湘南軌道廃止後、賃貸アパートとして利用された名残りだと思われます。
ジュラルミン製の「足行火(あしあんか)」を発見。
戦前のものだとすると、軌道時代からのもの?と期待しましたが、昭和30年前後のものでしょう。
何と郷ひろみデビュー時のポスターが・・・
昭和47年(1972)のままの壁。
昭和35年国勢調査!?
1960年のままの柱。
本社屋内部調査。2011年11月4日撮影。
むき出しの配線は当時もの?
付近でこの碍子(がいし)と酷似した、戦前の碍子が発掘されています。
本社屋内部調査。
2011年12月2日撮影。
1階内部に見られる扉は、そのデザインから「創建当時からの扉」のようですが、下部(敷居部分)は切り詰められ、上部(鴨居部分)には溝にはまるように凸型の成形跡が見られました。
どこかの「引き戸」だったものを「開き戸」に流用したようです。
本社屋内部調査
2013年12月12日撮影。
中央階段の登り口には、嵩上げして埋められていますが、台形状の(おそらく当初は靴脱ぎ場だったと思われる)跡が残っています。
ここが東側面の入口だったと考えられます。
各部屋内に入ってメジャーで測定し、記録していきました。そして、2階部分の間取りの全容がついにわかりました。(画像のマス目は20cm四方です)
階段は画面左下と中央にそれぞれ1本ずつあります。
左下部の階段は撤去されていましたが、中央部の階段は、実測では、奥行き200cm、高さ350cm、幅80cmで、段数は15段。
階段の斜面の角度は約60度もあり、足を滑らせると転げ落ちるような急な勾配です。
「はじめて学ぶjw_cad」で作成したものです。
慣れないため、結構時間がかかりました。
平面図です。
2階建ての母屋(直方体)の寸法は、南北4間×東西5間×高さ3間半(727cm×909cm×636cm)でした。
これをベースに西側に平屋の「運送部/待合所」、南北5間×東西2間半×高さ1間半(909cm×455cm×273cm)をつなぎ、
南面の東寄りにおよそ2間四方の「第七號」部屋や便所などをつなぎ合わせたつくりになっています。
二宮本社屋北側面図
古写真と実測で正確に描けました。
南側面図
1階部分の各屋根は現在の建物を測定してわかりましたが、
「窓枠」と「扉」は現存しないため、あくまで想像の域を出ません。
2階部分の「窓」については現存しています。
左側に窓が無いのは、この位置に、下に降りる階段があるためです。
西側面図
古写真と現地調査をたよりに復元図を描きました。
よく見ると、正方形の窓が一つ追加されています。(古写真と見比べるとわかります)
内部に入って納得。
この部屋はあまりにも暗い(南側が壁で灯り取りの窓が無い)ので後年、窓を増設したのでしょう。
東側面図
内部調査により、出入口の「引き戸」が図の位置にあったと考えられました。
向かって左の部屋は、現在では2部屋の便所になっていますが、
創建当初からこの位置に便所があったのかは不明です。
2011年12月15日
各部の測定が終了し、1/87の図面を作成しました。
工作用紙に貼り、モックアップをつくります。
ようやく立体的な形になってきました。
現存しない1階の窓の位置などは、修正に修正を加えながら検討しました。
本社屋を南東側より見る。
2013年5月3日撮影。この日は1階の大屋根の寸法を測定しに行きました。
メジャーが届かない屋根などの寸法は、ブリキ波板の「波」の数を数えて調べました。
1階の大屋根の測定が終了し、モックアップにとりつけてみたところです。
南側面は当時の写真が無いため、苦戦しました。
2階屋根の寸法は測れなかったので、多方向から写真を撮り、推定しています。
実際の屋根色はまったく不明ですが、モデルでは「スエード調スプレー」のサーモンピンクを吹いています。
「大正期の屋根色」をご存知の方がいたら教えて下さい。
入手した大正末期の絵葉書「二宮名勝 二宮全景(其二)」をスキャナーの高精細画質で取り込み、本社屋周辺を拡大したものです。
黄色矢印が湘南軌道本社屋で、赤色矢印(吉田屋)の手前に湘南軌道二宮駅がありました。その間にホームがあり、ホームには客車らしきものも写っていますが、いずれも不明瞭です。本社屋の南側面を見ることができる貴重な写真で、1階の大屋根が当初からあったことがわかります。
創建当初の屋根は、どうやら明るめの色のようです。
参考までに画像左上から右斜め下に大きく伸びている線路(白色矢印)は省線(東海道線)です。線路わきに電柱が並んでいますが、これはおそらく駅と駅をつなぐ電話線で、東海道線は電化前だと思われます。東京~国府津間の電化完成は大正14年(1925)であることと、この絵葉書の通信欄の表記が「きかは便郵」と左書きで仕切り線は1/2なので、絵葉書が大正7年(1918)~昭和7年(1932)の間に発行されたものと特定できること、の2点から判断して大正7~14年の間に撮影された画像だと絞り込むことができます。さらに、本社屋建造は大正8年(1919)であることから、撮影年代は大正8~14年ということになります。
現在の「吉田屋(書籍・文房具)」付近。2014年2月11日撮影。
吉田屋は1つ前の画像の赤色矢印の建物です。屋根、2階部分に当時の面影を残しています。
この画像は吉田屋(赤色矢印)付近から本社屋(黄色矢印)方向を撮影しています。
湘南軌道はこの道路に並行して(左側)を走っていました。
大磯町立図書館で発見した資料「震災記録」は、大正13年大磯警察署発行の写真集で、この図は、「復舊(旧)の成レル吾妻村二宮」とタイトルがつけられた写真を部分拡大したものです。
北側から見た本社屋とその周辺施設が写っています。画面中央に本社屋、向かって左方向が東で、乗車場の方向です。
本社屋後ろ側に「軽便倉庫」はまだ建てられていません。
jw_cadで描いた図面をケント紙に印刷して、グラントラインの窓枠をはめ込みました。
下見板はアイボリーの特殊紙を短冊状にして貼りつけました。
速乾アクリアの先細ノズル状のものが使いやすく、重宝しました。
窓枠の色は調査によると、ブルーグレイに近い色でしたが、
モデルではタミヤのインターミディエットブルーにしました。
扉の枠の下半分を見ると、
上塗りした白いペンキがはがれ、創建
当初の塗色が現れているのがわかります。
ブルーグレイです。
古写真と同じ方向から見てイメージをつかみます。
機関車はModels IMONの「雨宮5t」の煙突を改造したものです。
乗工社の無蓋ボギー貨車に煙草葉を積載して、
ナローガレージの「雨宮乙型客車」とのミキスト編成に。
大根公民館にて。
2012年8月30日撮影。
二見允久さん手作りの軽便は全長160cmもある巨大な模型です。
シートの色などは実際に乗ったことのある人に聞いたそうです。
秦野市本町公民館にて、
「軽便鉄道100年展」が開催。
2012年9月26日。
超拡大パネル展示のおかげで細部がよくわかりました。
やはり、全体的に薄い塗色のようですね。
看板の文字を解読しています。
本社屋西側にかかる小看板は、
丸にSK(湘南軌道のロゴマーク)
右書きで、
湘南軌道株式会社
○○部加盟店
↑がどうしても読めません
「興」?「公」?
看板の字体を写して復元しました。
屋根の寸法合わせは困難を極めました。
別の古写真より、西側中央の取り付け穴はストーブの排気管のものであることがわかりました。
桑原曻一氏の原画展「湘南軌道物語」より。
2013年6月11日、二宮町ラディアンにて撮影。
先生にはいろいろとご教示いただきました。
同じく桑原曻一先生の原画展より。
鷹野良宏氏の調査による「昭和2年頃の二宮駅周辺想像俯瞰図」
これによると、二宮本社屋裏にはターンテーブルと給炭場があった、と描かれています。
付近にはアオギリの木が3本植わっていたことが記録されているなど、とても詳細な復元図です。
調査を始めてから2年がかりでようやく完成しました。
地面は、軽量紙粘土で地形を作ってから、缶スプレーで数色の土色を吹いた後、「との粉」や「ターフ」を茶漉しで撒き、「中性洗剤を数滴混ぜた水」を一面にスプレーで噴射した後、「木工用ボンド+水」をスポイトで垂らしていく、という古典的な方法で作成しました。
自転車はさかつうのエッチングキットを使用。
他にMW製だるま転轍機なども取り付けました。
2013年8月28日撮影。
カメラは、はやりのコンデジHIGH SPEED EXILIM EX-ZR700使用。
全焦点マクロ機能はジオラマ撮影にも有利です。
建物の塗色については大正時代の創建当初の色を想像してみました。
窓の桟をホワイト(拡大画像より)、窓枠をブルー系(内部調査で見られた色を参考)、柱の色も同色です。下見板は絵葉書を見るに、ごく薄い色が塗られていますが、こちらはほぼ同年代に建てられた洋風建築「旧府中町役場(現存)」の塗色が似たようなツートンカラーであるので、これを参考にしてアイボリーとし、壁面上部をホワイトとしました。屋根色についてはわからず仕舞ですが、参考までに、近年使用されていた瓦はエンジ色です。
http://maskweb.jp/b_fuchutown_1_1.html
左側の列車は「湘南軌道時代」末期の編成で、
・機関車の色は黒と赤(連結面:エンドビーム)のツートン(「陸蒸気30年」の写真と記述より)、客車の色はブルーグレイ(桑原曻一氏の聞き取りによる)
右側の列車は「湘南軽便鉄道時代」の編成で、
・機関車は黒一色で前面下部に保護網あり(池田精一郎氏の手記と、絵葉書「大竹の松」より)
http://takagi.sakura.ne.jp/0512/keibin-100/index2.html
こちらは関東大震災で倒壊した後、新築された省線国府津駅。
大正13年ごろに建てられました。
湘南軌道二宮駅によく似ていますね。
絵葉書の消印は昭和10年8月4日です。
湘南軌道関係で、唯一入手できた資料です。
「新米屋(しんこめや)商店」は軽便の絵葉書も発行しています。
明治三十九年測図
明治四十二年三月三十日発行
「湘南馬車鉄道」の路線が書かれているようです。
大正十年測図 昭和二年鉄道補入
昭和三年九月三十日発行
「湘南軌道」時代の路線図。
大正十三年に、湘南軌道は路線延長しているのですが、この地図には反映されていません。
明治二十一年測図 昭和四年第三回修正測図
昭和八年一月三十日発行の地図
「湘南軌道」時代。
旧「秦野駅」→「台町停留場」に名称変更し、路線延長後の地図。
「全国乗合自動車総覧」によると、1934年時点の湘南軌道保有車両は、
①1929年型 フォード 5人乗り (ホイールベース2700)
②1929年型 フォード 6人乗り (ホイールベース2700)
③1928年型 シボレー 8人乗り (ホイールベース2700)
④1930年型 フォード 12人乗り (ホイールベース3300)
の4台です。
BUSCH の 1/87フォード・モデルAAパネル/1931を改造して④の車両を、
JORDANのHighway miniaturesシリーズ、1/87フォードA/1928を改造して①、②の車両を製作する予定です。
昭和6年(1931)の省線二宮駅前のようす
「秦野の近代交通」より
看板は右から、ハタノ行乗合、湘南軌道自動車、ハタノ行/のりば/湘南軌道、ハタノ行待合所、二宮合同B、省線連絡/湘南バ(ス) などと書かれています。
このバスはフォードAA/12人乗りでしょう。
大正末期にフォードの国産工場ができ、昭和初期はフォードの全盛時代です。写真のバスも入口が左で、運転席が右なので、国産フォードだと思われます。ちなみに、昭和4年のフォード4ドアセダンの価格は当時のお金で二千四百圓でした。
映画「有りがたうさん」昭和11年(1936)
松竹映画:上原謙/桑野通子
湘南軌道バスと良く似たバスが登場します。
というか全編バスが走りっぱなしです。
伊豆の山中でのロケ。
バスのクラクションが小田急ロマンスカーのミュージック・ホーンに似ているなぁ。
Highway miniaturesの「1/87 1934 Ford 21 Passenger Bus」スクールバスキットの屋根などを改造して、乗合バスを作ってみました。21人乗りの巨大なバスで、湘南軌道には実際には存在しない架空のバスです。あくまでイメージということで作ってみましたが、いかがでしょうか。
こちらは、JordanのキットFord model A 1928年型を改造して作成した、1929年(昭和4年)型フォードモデルA(5人乗り)です。実際に湘南軌道に在籍していました。軽便機関車が故障したときなどの緊急輸送用に、湘南軌道二宮駅付近に置かれていた、と元整備工の方が証言しています。
コインと比較すると、このキットのディティールの細かさがわかりますね。
車輪は画鋲サイズですが、ちゃんとスポークが抜けています。
コインは小型50銭銀貨(直径23.5mm)です。
湘南軽便鉄道特並等合造車
「軽便王国雨宮」より。
クロマテックインレタで貨車の社紋をつくる予定です。
古写真より社紋(ロゴマーク)を模写していて気づきました。古写真をよく見ると、湘南軽便鉄道時代は左のロゴ、湘南軌道になってからは右のロゴが使われています。何故社紋を変更したのでしょうか。
以下、自分なりの無責任な解釈ですが、「湘南軽便」と「湘南軌道」は同じような「SK」マークですが、湘南軽便は「Keiben」の頭文字、湘南軌道は「Kidou」の頭文字なので「K」の意味が異なります。
実は前者のマークは「ShounanKeibenTetsudou」だから、「SKT」を表しているのでははないか、中央上に飛び出している「線路マーク」は「Tetsudou」の「T」の意味もあるのかも。社名が「湘南軌道」になって「鉄道」が消えたから、(たまたまイニシャルはSKですが)「T」を短くして、閉じた輪にしたのではないでしょうか。
2013年11月16日
二宮町生涯学習センター ラディアンにて
二宮町立図書館主催の講座「文学散歩 湘南軽便鉄道100周年~歴史と文学をたどって」を受講してきました。
そこで配布された資料の中に、昭和2年5月発行の時刻表がありました。
「SKマーク」よく見ると、閉じた輪では無かったのですね。
社紋についての「自分なりの無責任な解釈」における顛末
2013年12月21日
本HPを見ていただいた、西裕之氏(「全国森林鉄道」等々)よりメールをいただきました。「軽便王国雨宮」掲載の「湘南軽便鉄道特並等合造車」の写真は、実は湘南軽便鉄道のものではなく、「仙南軌道」のものだということです。
ということで、私が「SKT」と思っていたマークは「Shounan Keiben Tetudou」ではなく、「Sennan Kidou」であって、よく似たマークで混同してしまったという・・。
下は、「秦野の近代交通」(秦野市教育研究所編)掲載の大正10年ごろの本物の「1号客車」の写真です。「軽便王国~」と見比べてみると、同じ1号客車でも屋根のカーブや窓下の形状が全然ちがいますね。
大正期の本社屋。(秦野市生涯学習課 市史資料室提供)
大正13年の写真では汚れて判読できない看板の文字読み取れることから、いくらか時代は遡ると思われます。窓の桟、屋根瓦は薄めの色のようです。
2013年11月16日、二宮町生涯学習センターラディアンにて、森家所蔵のアルバムを2冊拝見させていただきました。その中に古い本社屋の写真が3枚ありましたが、本社屋前の線路は撤去され、看板は右書きで「二宮 ハダノ間 乗合自動車」と書かれていたので、昭和12年の湘南軌道廃止後~戦前までの写真のようです。
その写真を見ると、窓の桟はほぼ白色で、窓をとめる「木枠」はかなり濃いめの色、屋根瓦の色も濃い色に塗り替えられており、創建当初の色と全然違う印象です。時代ごとに塗り替えていったのだと思います。
1956年(昭和31年)発行の二宮町郷土史より。
だいぶ改造されていますが、2階部分の下見板は残っています。この時代の下見板も濃いめのツートンカラーです。
鉄道ピクトリアル1984年2月号より。
1983年8月撮影。
2階部分の下見板はブリキ波板(おうど色~うす茶色)に替えられています。
少なくとも2006年頃まではこの瓦のままでした。この時期の瓦の色はエンジ色であることが分かっています。
しかし、創建時の写真と比べてみると鬼瓦の形が異なり、全体的に薄い瓦に葺き替えられているように見えます。
上の写真と同じアングルで撮影
2011年11月4日撮影。
現在は瓦は残っていません。すべてブリキ波板に替わりました。
屋内2階廊下の天井部分です。
白い壁は漆喰塗りで、天井は木の色そのまま。
壁と天井の継ぎ目の「木枠」の部分はかなりくすんでいますが、色はブルーグレイです。
やはりこのあたりが大正時代創建時の「木枠」の塗色なのでしょう。
ラディアンに展示された、森家所蔵の品々。
「湘南軌道株式会社看板」
かなりの重量がありました。
木の板に薄い銅板を貼り付けたような構造です。
裏側は「漆喰?」で塗り固められていました。
銭箱です。
貴重な当時の切符です。
湘南軽便鉄道時代
小児乗車券
金八錢
湘南軽便鉄道時代
荷物切符
金參錢
湘南軌道時代
金参錢
湘南軌道時代
金八錢
上の切符の裏側
湘南軌道時代
金十三銭
湘南軌道時代
金二十銭
「湘南馬車鉄道乗降場一覧図」より
二宮停車場付近に二つの車庫が見られます。
二宮駅構内に貨物ホームを設置したのが明治40年の年末で、「湘南馬車鉄道」が「湘南軽便鉄道」に変わる前(大正2年)の地図だから、明治末期頃でしょうか。当然、「湘南軌道」時代の本社屋はまだ建てられていません。
ターンテーブルもないですね。馬だから必要ないか。
2013年11月23日撮影。
北側面の窓はブリキ板で覆われてしまいました。
東側面の2階部分の窓には塩ビ板が取り付けられています。
雨漏り等がひどいのでしょうか。
そしてついに、蔦の絡まっていた「七號部屋」も内部が解体されていました。
残念ながら、これから改築していく様子でしたが、改築前に内部を観察できたのはラッキーでした。
「七號部屋」内部より東壁面を見る。
内壁をはがしたおかげで当初の構造が出現していました。
自分が考えた復元想像図に近い位置に小窓がありました。やはりここは便所だったのですかね。壁の二つの丸い「しみ跡」が気になります。
「七號部屋」内部より北壁面を見る。
ここは、「運送部」の荷物置き場?
このような曲がった部材も梁に使われていたんですね。
そして、何と「壁」だと思われていたところ(画面の左半分)にも、引き戸の出入口が見られました。
土塀の製作過程がわかります。
細い竹材を格子状に組んで、わらでしばり、土を団子状にして詰めていきます。
仕上げに漆喰を塗っています。
改築工事で土塀の一部が崩れ落ちていました。
やはり骨組みは細竹とワラのようです。
部材の一部がむき出しになっていました。
下見板を内側から見たものです。
「四分松」と書かれていますので、この下見板には松の板材が使われていたことがわかります。幅は実測で8寸(約24cm)でした。
厚さは四分(=約12mm)という意味ですが、実測では6mmほどでした。
2013年12月8日撮影。
改築中の二宮本社屋。
だいぶ工事がすすんできました。駐輪場にするそうです。(泣)
2014年2月11日撮影。
完成した駐輪場のようす。
その名もズバリ、「湘南軽便駐輪場」(笑)
モノクロ画像に着色できるフリーのソフト「GIMP 2」で遊んでみました。
手彩色絵葉書風に仕上げました。
同じく「GIMP2」でモノクロ写真を着色。
昭和11年4月撮影の秦野駅放置5号機関車。
「写真集 陸蒸気30年」より。
秦野市史資料室に保管されていたテープ。
昭和56年(1981年)7月31日録音。
湘南軌道の元整備工の方にインタビューしたもの。
お借りして、「テープ起こし」をしました。
(下は一部抜粋)
機関車が水無川橋梁から落ちた時の話
○整備工Yさん まあ・・・いわゆるその、えー・・・ピアの上から落ちちまうとかね。これがそうだったけどね。(ピア:橋脚)
○委員 これはお客が乗ってた時なんですかね。
○整備工Yさん これ乗って無い。貨物だったね。
○委員 貨物でしたか。
○整備工Yさん うん。お客は乗って無い。貨物です。ええ。
○委員 お客の乗っているときでしたら、大変・・・。
○整備工Yさん お客の乗ってン時はね。割合に無いです。あの・・・力が入ンないから、軽いから。ですから、あの・・・「レバー」っていいましてね、蒸気をね。あの・・・荷物ばっかり引くと重いでしょ?パッと開けンとね。ガクーッと来ンです。その時に、これだからね。カーブんなってン時は・・・ひっくり返っちゃった、それで。でもお客も乗ってン時もあったけど、そう事故は無いです。お客の乗ってン時に。ええ。これが、だから・・・これは、養泉院(ようせんいん)の、あの・・・お寺の松の木の下ですよ。私が知ってンだからね。私は・・・あれ、見に行ったんだ。
○委員 見に行ったんですか。
○整備工Yさん ええ。もう、整備工は、もうそういう場合には、一目散に飛んでかなきゃいけない。
○委員 あぁ…。
軽便に途中乗車できた話
○整備工Yさん まあね。軽便の場合は、バスならねぇ、まあバスだって、今のバイパスなんて言った時には、「すいません」て言えば途中で停めて乗せてくれたと思うんですけど、軽便もね、普通だったらね、下りへでも向いてればね、「頼むよ~」って言えばね、停めて乗せます。ええ。だけンどね、道路が登りンなってると、「停めてくれ~」ったって、そこで停めたら動かなくなっちまう。ねえ。例えば、大竹っ原(おおだけっぱら)をね、トコトコトコトコ調子よくね、走っているところで、ここいらでね、天井(てんじょう)、大竹に行くには遠いし、井ノ口戻れねぇし、「ほら、乗してくれー」ったってね、乗せらンないす。だから・・・
○委員 じゃ、飛び乗ってくれって言うんですか。
○整備工Yさん だから、しょうがねいから、その時はね、やっぱりお客が多いですから、あの、手招きしてやんです。これを通り越して、「来い」と。そうしりゃあ、この向こうへ行けば下りンなンから、そこで乗してやンから、ここまで駆けてこいよと、手招きしてやる。そいでこれね、トコトコトコトコと機関車が乗っちゃうとここまで来ちまうでしょ。で、これから下りだから、ここで待っててやる。お客を。
○委員 ああ、なるほど。
○整備工Yさん それで、待ってン間に、もう蒸気も終えちゃってンから、待ってン間に、あの・・・助手は火を焚いて蒸気を作ってる。その間に「早く来い、早く来い」って言って、駆けてきて乗れン訳です。まぁそういうね、まあ、軽便も悠長っていうか、便利な点があった訳ですね。ね。ええ。
え、まったくね、もうちょっと上りかかって停めたら動かないんだ。ええ。ええ。例えば、大竹っ原の真ん中辺まで来てね、停めたら動かなくなンの。ね。例えばね、この途中で馬車(バス?)が横ンなっちゃったとか、あるいは牛馬力(うしばりき)が横ンなっちゃって行けねぇなんつって、停まっちゃったら最後、しょうがないからこれが出るまで待ってて、うちの車はこちらの下りが終わンまで、バックして、それから改めて走った。そうしなきゃ動かねぇです、この軽便。だから、そういうそのね、ですから、あの・・・お婆さんなんてね、時々途中で下りあたりは停めて、乗してあげたことが、覚えています。私なんか。そういう便利さがあンですね。あったですね。ええ。
上り坂に来るとたびたび止まり、乗客に押してもらった時の話
○委員 何か、そうそうそう、年配の方(ほう)の話しですとね、坂へ行ったときにはお客が降りて押したとかって話しを聞いたんです。
○整備工Yさん それは・・・実際そうだ。本当にそうだ。それで場合によるとね、まあ私らも、まあ覚えてンけど。車掌がね、「すいません、お客さん。降りてっからちょっと押して下さい」っていうことがありましたよ。でもね、当時のまあ、交通機関としては立派なもんだからね。
2013年12月8日
2013年12月12日。
いいところに展示していただきました。
本社屋近くで発掘された「貨車の鍵」
森家所蔵アルバム。
貴重な写真が多数。
尾尻でのロケのワンシーン
オープンデッキで無い(客室扉付き)タイプの客車が写る貴重な写真です。
湘南軌道に在籍した客車は全6両で、うち4両(1号~4号車)がオープンデッキのボギー客車。続く2両(5~6号車)は扉付きで、やはりボギー車です。(写真にはアーチバー台車が写っています)
後者は大正11年に増配備されたものだそうです。(「湘南軽便メモワール」より)
機関車のサイドタンクにSKマークがついているのも珍しいですね。
「ふるさと見つけた軽便鉄道」によると、この写真は東宝映画「若い青春」の1シーンで、主演(右の男性)は岸井明ということになっています。
しかし、ここで謎が一つ。
東宝映画のデータベースを検索しても、「若い青春」という映画はヒットせず(若い・青春ってのも変なタイトルですが)、岸井明氏の出演映画を調べてもこの名の映画は出てきません。そもそもPCL→東宝立ち上げは昭和12年(1937年)だし、湘南軌道の旅客停止は昭和8年で矛盾しています。(※これについては桑原昇一氏の聞き取り調査で、ロケには機関車や客車をトラックで引っ張ってきたということがわかっています)
また、隣の共演者は、どうやら若き日の藤原釜足氏のようです。(岸井明&藤原釜足は、じゃがたらコンビとしてヒットし、数々の映画で共演)
このコンビで出演した「昭和12年」の「東宝映画」、「軽便が舞台」で「運転手と車掌」の条件をすべて満たす映画は存在しますが、「牛づれ超特急」というタイトルで、流山軽便(サドルタンクが有名)を舞台にしたものです。
そこで、またまた自分なりの無責任な解釈:
同時期に同様の映画を二つ作るというのも変だし、そもそも「若い青春」というタイトルの映画は存在せず、製作が湘南軌道廃止の時期と重なって撮りきれず実現しなかった、とか…。千葉県流山市に場所を変えて「牛づれ超特急」として撮り直した、とか…。または、尾尻のロケは「牛づれ超特急」のワンシーンに使ったのかも…。
「牛づれ超特急」を見てみないとわかりませんが、見たことのある方は是非ご教示下さい。
「自分なりの無責任な解釈」における顛末
鉄道友の会・会報「RAIL FUN」2015年4月号、寺本佳照氏によるコラム「吉田明雄氏と湘南軌道」に記述あり。
それによるとこの映画は、松竹蒲田・1929(昭和4)年11月8日封切りの「戀慕小唄」という映画であり、写真に写る右の軽便鉄道機関士は大山健二、左の人物は郵便配達で、吉谷久雄という俳優であるとのこと。ロケは大磯方面~ということでした。
全然違いましたね・・・。
省線二宮駅構内を進行する湘南軌道の蒸気機関車。
1970年代後半~1980年代前半の明細地図。
当時テナントとして入店していたのは、
さいとう薬局~グリコ牛乳~パーマ・シスター~北村桶店~寿々㐂(焼き鳥)
さいとう薬局~マツキ化粧品~日ノ出ヤトーフ~第一法律~役場分室
「ふるさと見つけた軽便鉄道」より
1983年5月1日撮影。
長い展示期間を終えてジオラマが手元に戻ってきました。
このジオラマには実はいろいろなギミックが組み込まれています。
ターンテーブル(クラシックストーリー製)もその一つ。
湘南軌道の実際のターンテーブルは手動だったと思いますが…。
下は桑原昇一先生が昭和40年代にカラー8mmフィルムで撮影した頸城の映像より。
おそらく湘南軌道もこんな感じだったハズ。
桑原先生に聞いた撮影の苦労話:
当時、オールカラーで撮影している人はいませんでした。モノクロ8mmフィルムは1本500円ほど。しかも4分10秒しかとれません。それに対してイーストマンコダックカラーフィルムは1本1700円もしました。フィルムの初めと終わりは光が入ってダメで使えず、結局30分ものを撮るのにフィルム10本は必要でした。当時の月給は18000円から、良くて23000円くらいの時代です。フィルムの現像も国内ではできず、ハワイに送っていました。10本送って2本しかまともに現像できていない時もありました。空港のX線検査でやられてしまったのです。
そのようにして苦労して撮影した映像がまだ茶箱2杯半くらい眠っており、徐々にDVD化したいと思います。現在、下津井、静鉄、駿遠線、奥山線を編集中です。
このジオラマのベースには2つのスピーカーが組み込まれています。
youtubeで拾ったライブスチームやダージリンヒマラヤ鉄道などの動画をi-podにとりこんで、直結して再生すれば音が出るという…幼稚な装置ですが、臨場感は抜群です。
参考文献
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